2002年7月4日にある掲示板に書いた、「パンチョ伊東」さんの追悼記です。
僕の3大尊敬する人の一人です。

今日、パンチョ伊東こと伊東一雄氏が亡くなった。
きっと皆さんはあの怪異な風貌と、カツラネタにされてたことぐらいしか知らないだろうけれど、僕にとってはすごく思い出深い人だし、生きている間に一度は絶対に会ってみたい人だった。会うだけではなく語り、そして話を聞きたい人だった。パンチョ伊東を知らない人、ちょっとだけ知ってる人、どんな人でもいいんで、ちょっと足を停めて読んで貰えたら嬉しいです。

今からホンの10数年前までは、今のようにスポーツニュースでメジャーリーグの映像が流れることはもちろん、触れられることすらなかった。僕らが海の向こうの野球に触れられる機会は、「週刊ベースボール」に載る数ページと、宝島社が出してた「大リーグ選手名鑑」しか無かった。その「週刊ベースボール」で毎週1ページの選手コラムを書いていたのがパンチョ伊東伊東一雄だった。
情報の少ない時代にコラムを書いてたから彼が素晴らしいのではなく、その素晴らしさはコラムの内容にあった。
たった1ページのコラムの中で、毎回選手を1人紹介するのだが、選手の生い立ちや成績に重視を置くのではなく、その選手を通してメジャーリーグひいてはアメリカの歴史アメリカ人の思考の奥深さを伝えていた。野球というものがアメリカの中でどのような位置をしめ、どのような役割をしているのか、そして何故アメリカ人が野球を愛しているのか。分かり易いエピソードでそれを伝えていた。

日本の片隅で、たった1ページのコラムを毎週読む事で僕はアメリカと繋がっていたし、観た事もない選手の活躍に想いをはせ、心を躍らせていた。時にはまったくその選手に関係無いエピソードを語った事もあった。しかし読み終わると、何故そのエピソードを語ったのか、その選手を紹介するためにはそのエピソードを語ることが必要不可欠だったのも判った。膨大な知識と見識を背景に、少しでもメジャーリーグの楽しさを伝えようとする愛情にコラムは溢れていた。たった1ページのコラムがその背景にある世界の奥深さを感じさせていた。

野茂が海を渡りメジャーリーグが身近なものになり、伊東氏もテレビで
解説することが多くなり、露出も増えた。そこで彼が表現していたものは、「自分が愛しているものを、人にも愛してもらいたい」という姿勢だった。

日本人がメジャーで活躍するようになると、「メジャーは大したことない」
「日本の野球よりメジャーの方が面白い」といった意見が多く出てきた。多くの解説者たちが、海の向こうの野球のレベルの低下を叫ぶか、自国のリーグをしたり顔でくさしている時も、伊東氏は絶対にそのような発言はしなかった。ただ「楽しいものは楽しい。もっとよく知ればもっと楽しい」という事を伝えようとしていた。他の評論家や知識人たちが言っていることに対して、異論や反論を言って欲しいと思った事もあったが、多分伊東氏はもっと違う視点、もっと高い視点で野球、日本の野球も、メジャーリーグも観ていたのだと思う。
メジャーの映像や情報が氾濫している今は、あの時のようにたった1ページのコラムを毎週宝のように楽しみにする必要はない。チャンネルをひねれば
スポーツキャスターが今日の日本人選手の成績を教えてくれる。だが、伝えるのは日本人選手の話題ばかり、たまに記録などが絡むとその情報は流れるけれど。伊東氏が伝えようとしていた、メジャー、アメリカを伝えることとは程遠い報道が溢れている。

「アメリカの歴史を知りたければ野球を知ることだ」というアメリカの
歴史家の言葉があるように、野球、ひいてはスポーツはアメリカを形成する
寓話だということを伊東氏は教えてくれた。

自分の筆力の無さで、その素晴らしさを伝えることが出来ないのは歯がゆい
が、機会があったらその著書を手にとってもらえば判ると思います。

長くなりましたが、伊東一雄を知らない人に少しでも知ってもらえたら
と思って書きました。
間違いなく、僕にとっては影響を与えてくれた一人だったので。野球に興味が無い人にはどうでもいい話でしたが、文章によってその背景、奥行きを描き出すという一つの例で、シナリオにもきっと通じるところもあると思ったので勘弁してください。

天国行っても、きっと野球を楽しんでると思います。