廣田恵介さんと「マイマイ新子と千年の魔法」

ライターの廣田恵介さんが亡くなった。

 

生前、数えるくらいのメールのやり取りと、実際にお会いしたのが一回の自分のような人間が、廣田さんについて書くことはおこがましいと重々承知の上で、誰かが書き残さないといけないのでは…という思いから、廣田さんへの想いを綴りたいと思う。

 

2009年11月。『マイマイ新子と千年の魔法』というアニメ映画が全国公開された。監督は片渕須直氏。
当時、単館系で公開される映画まで目くばりしていた私でも、この映画が公開されていたことは知らなかった。

 

12月の頭に友人から、よく読んでいる映画ブロガーたちが不思議な感想を述べている映画があるので観に行こうと誘われた。ネットで情報を集めると、絵柄は「世界名作劇場」のようで、内容も特に惹かれるものは無かった。それで自分のアンテナにも引っかからなかったのだろうと。ただ、断る理由も無いので、12月の頭の休みの日に新宿ピカデリーへ観に行った。

 

観終わった後の感想は「…?…」だった。「おもしろい」映画では無かったし、「感動」もしないし「泣き」もしない。
昭和30年代の小学生がずっと友達と遊んでいる。それと千年前の平安時代とがオーバーラップするという構造だが、何か特段の事件が起きるわけではなく、感動するようなエピソードがあるわけではない。
映画を観終わった後、歌舞伎町の「とんかつ にいむら」で飯を食べながら、映画の感想を話そうとしたが、盛り上がらないことこの上無かった。

しかし、自分の中で起きていた化学変化はその数時間後に現れた。
その時の感想は下から。
https://fukafuka.hatenablog.com/entry/20091209/p1

 

「面白い」も「感動する」も「泣けるよ」という言葉を使わず、その映画に興味を持たすことを、映画館に足が向くように出来るだろうか。この映画の「魔法」にかかった人がみんなもどかしさを感じている間に、映画は全くの不入りでひと月持たずに公開が終了することになった。

 

想像してみて欲しい。

この世界の片隅に」をあなたは観た。しかし、周りを見渡せば誰も観ていない。薦めてはみるが誰の興味を示さない。そうこうしているうちに公開が終わり、殆どの人が「この世界の片隅に」を知らないまま、作品は消え去っていく…。でもあなたは知っているのだ、「この世界の片隅に」が素晴らしいことを…しかし、知っていても何も出来ない…この絶望感。

 

そんな時に、いち早くブログで「マイマイ新子と千年の魔法」の素晴らしさを伝え、《『マイマイ新子と千年の魔法』上映存続を!》と署名活動を始めたのが廣田恵介さんだった。

 

廣田さんはその当時で、もうアニメ、模型をフィールドとしたライターで、実名顔出しをしている人だったので、そういう人が声を上げたことは、私を含めた匿名ブロガーが声を上げるのとはわけが違い、耳目を集めることになった。


少しづつだけど、署名活動をしていることが知られるようになり、本当にネットの片隅ではあるけれど、話題になるようになり、単館系の映画館でも上映されることが決まっていった。
廣田さんは、署名活動のみでなく、映画館などに直接交渉したりして、この「マイマイ新子と千年の魔法」をいかに多くの人たちに観てもらうことが出来るか…と精力的に活動していた。
ご自身のブログにそのことを連日書かれていて、私もそれを読んで陰ながら応援をしていたが、少しづつ恐れていた事態が起き始めた。


もう15年以上も前のことなので、時効として私のことを書きますが、この2009年の2年前、2007年にアメリカの「ザ・シンプソンズ」が映画化されることになり、日本でも上映されることになったが、その際に、それまでテレビ版で担当していたメイン声優を総取り換えするということがあり、それに対してオリジナル声優版を作って欲しいという運動が起きたことがあった。
実は私はその時のメンバーだったのだが、その時も署名運動や、各業種に訴えかけるという運動をしたのだが、そういう運動は得てして、あまり良くない感情も連れてくるという事を知っていたので、本当に僭越ながら、廣田さんに応援と、アドバイスというほどの上から目線ではないが、私が経験したことをメールを通して伝えたりした。

 

こちらが希望を出して、賛同する人を募るという行為は突き詰めていけば「エゴ」であり、当然それをぶつける相手と言うのが存在する。それを向こうに投げることにより、「誰かの仕事を増やす」ことになり、またビジネス的側面から言えば「誰かの仕事を否定する」ことになるのだ。
そしてビジネスではなく「想い」を原動力にやっていると、味方と思っていた人と一たび齟齬が生まれると、最も厄介な交渉相手に変わったり、負の感情をぶつけられたりする。外野からは心無い言葉を投げつけられる。

グループでやっていた我々でも大変だったのに、先頭にたってその風を一人真っ向から受けていた廣田さんはどれだけ大変だったか…。
当時も読んでいて思ったが、改めて廣田さんのブログを見直すと、そこでご自身が葛藤されていたことが読み取れて痛々しい。

 

でも廣田さんはそこで立ち止まらなかった。

 

マイマイ新子と千年の魔法」は、単館系ではあったがロングラン上映になり、満席になることも多かった。実際、私がラピュタ阿佐ヶ谷に行った時には入れなくて、ポストカードだけもらって早々に退散したこともあった。

 

2010年4月23日に吉祥寺バウスシアターで、主役声優を務めた福田麻由子さんと、片渕須直監督の舞台挨拶が行われることになり、私も上映に駆け付けた。舞台挨拶時の福田麻由子さんへの花束贈呈は廣田さんがされていた。
この時のことは下に少し書き残している。
https://fukafuka.hatenablog.com/entry/20100423/p1

 

後から知ったが、この時プレゼンターに廣田さんを強く推したのは片渕監督だったようだ。
この日にDVDになることも発表され、約半年前に味わっていた絶望感は、希望へ変わっていた。私はこの時の思いを「奇跡」と書き残していたが、今でもその思いは変わっていないし、それは大袈裟な表現だったのだろうか…と問い直しても、大袈裟だったとも思わない。
この日に、廣田さんに挨拶させてもらって、この日まで本当に大変だっただろうと、でも廣田さんの力は大きかったと思いますよと感謝の言葉を伝えることが出来た。

 

世間一般への知名度は全然だったけれど、ここくらいまで来たときに、全くの無名な作品として消えるという最悪な状態は無くなり、「知る人ぞ知る名作」にはなっていった。
私は、この頃「これで片渕監督も次回作創れるでしょ」くらいに軽く考えていた。あのクラウドファンディングの発表があるまでは…。


6年後、「この世界の片隅に」のクラウドファンディングが始まり、3374人の参加で3千9百万円が集まった。この3374人の中に、「マイマイ新子と千年の魔法」の上映存続の署名に参加した1674人はどのくらいいたのだろうか。
私は結構な人数いたのではないかと思っている。私自身がそうだったし、twitterやブログでも表明していた人は結構いた。
それに、上映存続の署名に参加出来なかったとしても、上映が継続されたことによって「マイマイ新子と千年の魔法」を観た人が参加していたかも知れない。
中には、新百合ヶ丘の学校の校庭で観た人が参加したのかも知れない。
https://fukafuka.hatenablog.com/entry/20100822/p1

 

歴史にifが無いことも知っているし、その後に起きたこと全てが廣田さんのお陰だったというつもりもないです。
廣田さんの「マイマイ新子の千年の魔法」の思い入れは、当時から少し「狂気」に感じてしまったこともあったけれど、だからこそ逆風でも止まらなかったし、人を動かしたのだと思う。

 

だから考えてしまうのです。あの時廣田さんがいち早く声を上げなかったら…その世界線の先に「この世界の片隅に」は「つるばみ色のなぎ子たち」は生まれたのだろうか?と。

 

2009年の12月。あの時片渕須直監督の名前を、一体どれくらいの人が知っていただろうか。
2023年の7月。今、片渕須直監督の名前を知らない人が、一体どれくらいいるのだろうか。

 

その後は、特に交流は無かったですが、廣田さんのtwitterやブログをずっと見続けていました。時にはいろいろ物議をかもすこともあったような気もしますが、そりぁ、あれだけの熱さを内包していた人ですから、衝突もあったでしょうね。

 

でも、私からは、本当にありがとうございました。お疲れ様でした。
という言葉しかないです。

 

合掌。


私の勝手な廣田さんへの想いを書き綴りました。
時系列、事実関係に間違っている箇所があればすみません。私の記憶を元に書いたものなので。

実際に廣田さんが行っていた活動は、廣田さんのブログに詳しく載っているので、2009年11月くらいからのアーカイブを是非読んで欲しい。