「リトル・チルドレン」

何の前情報も無し。前の日に姉に「“ロスト・チルドレン”を明日観に行く」と言ったら、「何でそんなに古い映画を観に行くんだ」と言われたぐらい。タイトルも把握していなかった。


前情報何も無しだと、まったく展開が解からないから、悲劇になるのか、喜劇になるのかも解からずただ身を委ねるだねだね。
役者も全く解からず、あーケイト・ウィンスレットなんだ〜と見終わった後に。この人脱ぎっぷりの良い女優さんなんだね。


まあ、アメリカの郊外の昼のメロドラマみたいな話だが、とにかく感心したのが、脇の人物の描写の仕方。一人一人がキチンと描かれているというか、ちゃんと生きて存在している人になってる。
これは、脚本の繊細さも勿論そうだが、演出の細かさだろう。なんだろう、どこがそうだからって言えないんだけど、例えばケイト・ウィンスレットがベビー・シッターを頼んだ年上の友人に、お礼のお金を渡そうとして断られるシーンがあるんだけど、その友人はただ断るだけじゃなくて、ちょっとムッとして帰ってしまう。ストーリーの本筋にはまったく寄与しないシークエンスなんで、別に怒る必要も無いし、ましてやお礼のお金を渡そうとする行為自体も必要無い。だけど、この友人の考え方というか、ポリシーというか性格は明確に描き出している。こういうシークエンスがたくさんあった。


まあ、本筋に関係無い事ばかりなので、実際には尺も長くなってるし、映画のテンポ的にはどうなの?って感じもあるけど、そういう事をちゃんとやってると、本筋の所にもリアリティというか、説得力が増すし、心地良い。
ちょっとした演出と脚本の気配りなんだろうけど、そういう所は忘れたり、おざなりにしちゃダメだね。