友人の祖父のお通夜に行った。
その人は、ただ友人の祖父というだけでなく、自分の過ごしてきた青き日々の追憶の中に必ず登場してくる人だ。それは、青き日々を過ごした場所に由来している。

その人は、川べりの廃墟となったモーテルに住んでいた。その一室に友人が住み、いつしかそこに自分たちと同じ志向を持った人間が集まる場所となった。映画を作りたいという気持ちを持った。
誰かが自分の好きな本やマンガを持ち込んでは、回し読みして新しい世界に出会った。誰かが面白いと言った映画をみんなで観て、朝まで議論することもあった。
今思えばたわいの無いことかも知れない。みんな多分その時に何を話したかなんて忘れてしまっているだろう。俺も覚えてない。

ただ、覚えているのはその頃の自分には様々な大変なことがあって、特に大学を一度辞めた時分でもあったので、大きな喪失感を持っていたという事だ。それまですごく狭い視野の中に生きてきた自分にとって、それはある意味で社会を知るための時間だったのかも知れない。そして、喪失感を埋めることが出来た時間だったのかも知れない。

だから、そんな季節を過ごした場所は自分にとってかけがえのない聖地であり、その場所を提供してくれたその人に対しての自分が持つ感謝の念は、多分余人には想像がつかないだろう。

友人が引越してしまってからは足を運ぶ回数は格段に減った。当然だが。だがいつも心のどこかでは、あそこにその人がいて、あの場所がある限り、いつかまた何かのキッカケがあれば集まることがあるかも知れないと思っていた。


人は得るときは何も知らずに得ていて、失う時は突然であるということか。


その人の矍鑠いう言葉がピッタリとくる豪快な話し方、豪傑談を聞くことはもうない。せめてもの救いは、昨年友人の弟の結婚式に参加して、言葉を交わす事が出来ていたことだろう。その時は一年も経たずに訃報を聞くとは夢にも思わなかった。元気で、友人とどんなスピーチをするのかドキドキしながら待っていたのを思い出す。

考えてみれば、本当はその人のことは殆ど何も知らない。だが、知っていることにどんな意味があるのか。お互いの人生の中では、一瞬の邂逅だったのかも知れない。だがその時に交わした言葉だけで充分なのではないか。そして、同じようにその人と言葉を交わした友人たちと思い出話を興じたことは、今自分にできる最大の供養だったと思う他ない。

ご冥福をお祈りします。

親族の皆さんへは、精進落としで酒を飲み、ほろ酔い気分で、その人への思い出を語ったのは、俺なりの供養の仕方だったと思ってもらいたい。多分、その人もしんみりするのは望んでないと思ったので。
思いは尽きない。けれど、それを表現するのに俺の力はあまりに不足だ。バカ話をして、思い出を語る以外俺に何が出来るのだろう。失礼だったのかも知れないが、理解してもらえれば幸いだ。