「WBCとは何だったのか」

パンチョ伊東バド・セリグ
WBCが開催される事が決まり、開催時期の問題やいろいろな問題が言われたが、一番心配と言うか、気に掛けていたのが「本当に世界一決定戦にふさわしい体裁になるのか?」という事だった。終わってみたら、杞憂だったな。もちろん、MLB機構の主催、アメリカ国民の無関心(決勝に行ってたら違ったと思うが)や、日本ラウンドの観客数の問題、審判・トーナメント方式の問題やらはあったけど、実際に開催された事に比べると、そんな問題は本当に小さい。


日本で、まだMLBに関心が薄い頃から、MLBについて紹介していた人にパンチョ伊東こと、伊東一雄がいる。いや、もうパンチョさんと呼ぼう。
MLBの優勝決定戦を「ワールドシリーズ」と呼ぶ事を問題提起していた日本人は、パンチョさんしか知らない。これは、「アメリカのみのリーグの優勝決定戦を、“ワールドシリーズ”と呼ぶのは、傲慢だ」という意味では無い。「野球という素晴らしいスポーツを、もっともっと世界に広めて、MLBを頂点として、真の意味での世界一決定戦をやりたい。それを“ワールドシリーズ”にしたい」という意味だった。そういう夢を、遠い夢では無く、実現可能な夢として語っていた。当時、日本人メジャーリーガーが一人もいなく、日本人にとって、MLBが遠い存在で、本気で耳を傾ける人が誰もいなかったのにもだ。
MLBコミッショナー、元ミルウォーキー・ブリュワーズのオーナー、バド・セリグ(現在のオーナーは、バド・セリグの娘)と最も親交のあった日本人はパンチョさんだった。パンチョさんが亡くなった時、ブリュワーズの本拠地ミラー・パークの電光掲示板には、追悼のメッセージが流れた。そんな日本人は、パンチョさんとアイク生原さん以外には知らない。そして、その二人が「世界一決定戦」の夢を語っていただろう事は想像に難くない。
今回、WBCの開催は、バド・セリグの強硬な姿勢により実現した。という論調が、批判を込めてアメリカでも述べられていたが、「そんな事どうでも良いじゃないか」という気持ちだ。実現させた事が一番ではないか。もちろん、多くの人の夢が実現した事なのだが、二人の友情が、その一助になったのは事実だろう。
バド・セリグが日本選手にメダルを掛ける時に、そんな事を思い出して泣きそうになった。