「サッカーW杯予選に何が無かったのか?」

サッカーW杯最終予選、対北朝鮮戦。結果は2-0。2006年ドイツW杯への出場が決まった。
無観客試合ということもあって、試合終了後は何かまったりとしていた。国立競技場にも観客が集まっていて、中継では盛り上がっているように見えた。夜のニュース番組はこぞって、このニュースを大きく取り上げていた。みんな喜んでいるようだ。
後半途中から観た。非国民と言われても良い。観ながら、日本が負ける事を望んでいた。北朝鮮に勝って欲しかったのではない。日本に負けて欲しかったのだ。
はっきり言って、選手には何の罪も無い。選手の皆さんゴメンナサイ。


さて、今回のW杯予選に何が無かったのか?まず一つは「ドラマ」だ。もはやW杯に行くのは規定の事の様になっていた。もちろん途中でイランに負けたりして暗雲が立ち込めた事はあったが、実際にはアジアには出場4.5枠あるので、「もうこれでダメだ」という瞬間はなかった。もちろん、日本がそれだけ強くなったという事なのだが、行けるか行けないかというかつてのドラマ感はそこにはなかった。
もちろん、もう既にW杯ベスト16の実績があるのだから、もう「W杯でどこまで戦えるのか?」という思いを持っている人は多いと思う。実はもう日本はそんな所まで来ているのだ。だからこそ、興味は失われていくのだ。「叶わない」と思われていることに挑んでいる時こそドラマは生まれる。「こうなるだろう」と思われていることが「そうなった」としても、何も生まれないのだ。
また、役者も何も発しないのだ。心の中にはあるのだろうが、「絶対に行きたい」という気持ち(あるいはバックボーン)がある人がいない。強いて挙げれば中村俊輔などはそんなドラマを発することが出来るバックボーンがあるのだが、如何せん無愛想すぎる。
そんな状況と、テレビのアナウンサーやパーソナリティが盛り上げようとする現象に違和感を感じる。香取慎吾を応援団長にして、何の意味があるのか。ただ単に、中継のコンテンツの価値を上げようとしているふうにしか見えない*1。そうなればなるほど、周りが盛り上がれば上がるほど、醒めていく自分がいるのだ。

*1:これはテレビ局の姿勢としては至極真っ当なんだけどね