「2010年W杯南アフリカ大会」

宴は終わった。まあこれからは他人の祭りだけど、それはそれで魅力的な祭りなので堪能はしたいね。


駒野を責めているヤツは、人生の中で団体スポーツで勝敗を決めるプレーに関わったことない人間か、責任ある仕事を任されたことがない幸せな人間なのだろう。
10数年経っても、今だに悔やむ事があるよ。あんな大人数の前で号泣したのは後にも先にもあの時だけだ。


さて、まず謝らなければいけないのは、俺は予選リーグで惨敗すると思ってたよ、今回。
2勝して、決勝トーナメントに行くとは露ほど思ってなかった。大会前にこき下ろした岡田監督には申し訳ない気持ちはあるけれど、かと言って称賛の気持ちで一杯かというとそうでもない。
確実に今回の大会で、日本サッカーは得たものと失ったものがあるからだ。


試合直前のシステム変更、ギャンブルだったと思う。コレクティブ・サッカーを捨ててリアクション・サッカーへ。
守備を固めて、サイドバックも上がらせず、前線の3人のみでカウンター攻撃をする。
負ければ、最大の批判を浴びるギャンブル。第1戦に勝ったことで、それらは英断になり、批判は賞賛に変わった。
しかし、W杯はギャンブルをする場なのだろうか。FWで行った選手たちは自分たちの存在意義を失っただろう。
あれに納得がいった選手は誰一人いないだろう。
しかし、勝った。やはりスポーツには勝つことでしか得られないものもある。
だから、素直にギャンブルして、それに勝ったことでは岡田監督を褒め称えるべきだろう。
だがしかし、ギャンブルで勝ち続けるには限界がある。結局その限界は、松井と大久保の体力が全てだった。


あの戦い方をするために集められた選手ではない。リアクション・サッカーと言いながら、カウンターの流れの中で取った得点は皆無。前線の松井と大久保が後半の10分くらいまでで体力が無くなったら、その後は打つ手なし。
代わりの選手がいないのだから。岡崎は受け手のFW。玉田もサイドを突破するタイプではない。
中盤でも、中央をドリブルで突破するタイプはいない。もし、石川や山瀬、FWでも達也や寿人といった中央やサイドを突破するタイプが控えにいたらと思わざるを得なかった。


リアクション・サッカーが悪いと言っている訳ではない。むしろ弱者の戦術であるならば、W杯ではそれでも良いと思う。
理想を追い求めて負けるよりは、しがみついてでも勝ちに行く。弱者であるならば当然である。
負けた時には何も残らないが、もとより負ければ何も残らないだから。
もしかしたら、パラグアイ戦の負け方は理想的だったかも知れない。出場停止者が出る試合では、リアクション・サッカーすら出来るか解らないからだ。ただ、やっぱり次でボロ負けたとしても、1勝を積み上げた方が遥かに良かったとは感じるが。


アジアでは格下とばかり当たり、W杯では格上ばかりと当たる。同じ戦い方である必要は無いはずなのだが、どうも全てを統一し、“日本のサッカーとは”が声高に叫ばれるが、引き出しは多ければ多い方が良いのでは。
結局、“日本のサッカー”を模索し続けた数年間を捨て、結局行き着いた先は中途半端なリアクション・サッカー。
そして、中途半端な結果を残し、この大会は終わった。また監督が代わり、新たな“日本のサッカー”が模索される日々が続くが、もし、中途半端な今回の結果が重視され、中途半端なリアクション・サッカーが国是になった日には、格下にそのサッカーをやって敗れる時が来たら、今回の勝利を恨めしく思う日が来るのかも知れない。


って、書きましたが、選手はよくやったと思いますよ。10日前に変えたシステムを遂行し、控えに甘んじた選手も造反したりしなかった。内紛が起きたチーム、フランスやカメルーン(オランダは毎回内紛起きるけど、今回は無し)があんな結果になったのも鑑みると、やっぱりサッカーって、チームワークがそのまま力になるスポーツだよなぁと。
普通に怒るよあんなの。でも、そうならない所が、日本人らしいっていうか、否定的に言われる事の多い、ディシプリンが実際には大きな武器なんだと思う。
野村監督の言葉に「アマチュアはチームワークで勝つが、プロは勝ってチームワークが生まれる」ってあるけど、結局スポーツにはグッドルーザーなんていないんだなと。


まあ、また新たな監督を迎えて“日本のサッカー”を模索する日々が続くのだと思うけど、まあそれは永遠のテーマってことでね。


個人的には、闘莉王、阿部、長谷部って旧レッズラインが活躍したので、非常に満足だったりして(^^;;